3.恋愛感情ですと言ったら?






周囲から不自然に見えないよう、歩く速度を一定に保つよう注意しながら、血盟城の長い廊下を歩いていく。
鏡のように曇りなく周囲を映す、美しく磨かれた石廊に、自分のたてる足音が妙に金属的に冷たく響く。
その足音に、もう一人分の足音が重なって聞こえる。
普段はそんなに音を立てて歩くようなことはしていなかった筈なのに、わざとのようにカツカツと立てられるその音は、まるで主の代わりに自己主張をしているようだとユーリは思った。


数日前、護衛を兼ねた名付け親に「キスのようなこと」をされた。
「のようなこと」と付け足してしまうのは、行為自体は確かにそう呼ばれるものであったものの、彼の動機がわからないためだ。
ロマンチストと言われるかもしれないが、ユーリは「キス」の定義に、相手に対する恋情があって初めて成立するものだという風に認識している。

赤ん坊の頃からの縁のせいか、彼はユーリを過保護極まるほど大切にしてくれた。
自分の命よりも、ユーリの身の安全を優先する。
それが、「護衛」という「仕事」だからという理由からだけではないと胸を張って断言できるほどには、ユーリも彼からの好意を信じていた。
だが、その好意とは、親愛とか友情とか信頼とか、そういったものがメインで作られていて、それらはとても素晴らしくはあるけれど、「キス」ができるような関係とは程遠いはずのもの。
何を思って彼があんな行為に及んだのかはわからないが、彼にとって、自分は名付け子であり、被保護者である。
この、保護者・被保護者の関係は、一生続く、切れることのない関係。
ゆえに、自分は彼の恋愛対象にはなりえない。

……当然だ。
誰が自分の子同様に可愛がっている子どもに恋愛感情を持てる?

そうやって、とりあえず「恋愛感情ではない」と客観的に導き出した結論に、ユーリは自分でも不思議なほどショックを受けた。
(これってまるで、今の関係に不満があるみたいじゃないか!)

彼の行動の意味以前に、自分の気持ちすら掴めない。
加えて腹立たしい事に、自分がこんなに混乱しているというのに、原因を作ってくれた男はいつもと変わりなくにこやかで。
むしろ普段よりも上機嫌に見える彼に、あの行為自体にそれほど深い意味はなかったのではと思い当った。
女性に異常にモテる彼が、キスくらいと軽い気持ちでついやってしまったとか、からかってみただけとか。
考えれば考えるほど、ユーリは思考の泥沼に落ち込んでいった。


それ以来、気持ちの浮上も叶わなければ、まともに彼と視線を合わせることも出来ていない。
朝一番に自分を起こしに来てくれる時から、夜に寝室に再び送り届けられるまで、話しかけられても微妙に視線を外し 、行動もぎごちない。
最初は体調不良を疑われていたようだったが、それはないとわかると、安心したのか彼はユーリに何も言わなかった。

(これはこれで寂しいんだよな。
はっきり普段と違う態度を取られてるのに、理由も聞いてもらえない、とか。)
まるで全然、おれに関心がないみたいだ。

回廊を歩きながら、また後ろ向きに考え込んで上の空になっていたユーリの腕が、いきなり後方に強く引かれてバランスを崩して倒れそうになる。
石の壁と、窓から覗く切り抜かれたような鮮やかな四角い青空が一瞬で視界をぐるりと横切り、気がつくと、人目につかない大きいな石柱の影に引きこまれていた。


「いっ……いきなり何すんだよ!?」

突然の出来事に本気で驚いたユーリが裏返りそうな声で非難するが、それをした本人は動じない。
口元に笑みを浮かべ、動揺しているユーリの手首をそっと掴んで壁に縫いとめる。

「申し訳ありません。ですがそろそろ限界だったので、仕方なく。」

「仕方なく!?ってか、限界って何!?」

「だって、最近ユーリが俺を無視するから。
目も合わせてくれないし、俺に対する態度もおかしい。
ヴォルフやグウェンたちには普通に接しているのに、あなたが俺だけに冷たいから、頭にきてしまって。」

殊勝気に見える態度を、瞳の奥に潜む野蛮な光が裏切っている。

「……それはっ、それは、あんたがあんなこと……ッ!」

「あんなこと……ああ、俺があなたにしたキスのことですね」

「うわーーーーーー!!キ、キ、キ、キスとかはっきり言うなーーーーー!!」

恥じらいもなく言い放つ名付け親に、今度こそユーリは動揺を通り越してパニックになった。
とにかくその場から消えてしまいたくて、体を捩って逃げ出そうとするが、彼によって壁に押し付けられた手首はびくともしない。

「………嫌われてしまったかと思ったんです。」

「え?」

暴れるユーリの手首を体ごと拘束したまま、ポツリと呟くように言う。

「あなたにキスしてしまったことで、嫌われてしまったのかと。
ユーリはこういう感情に疎いから、俺のしたことはあなたの信頼を失うことでしかなかったのかと思って。」

言われたことの半分しかわからないのは、彼の言うとおり自分が何かに「疎い」からなんだろうと、ユーリは思った。
彼への信頼を失うなんてありえないけど、確かにあのキス以来、自分はずっと混乱状態だ。
だけど、目の前にいる名付け親は違う。
彼は、自分の行為が後々どういう事態を招くのか、先々まで想定した上で行動できる人だった。
もちろん、今、彼自身が口にした「おれの信頼を失う」という可能性だって、考えてなかったはずがない。
それを押してまで、おれに、キス…した理由……。

もしかして、自虐みたいに考えていた、軽い理由ではない?

「じゃあ、なんで、あ、あんなことしたんだよ……」

つい口をついて出てしまった疑問。
質問に質問で返す彼の瞳に、一瞬鋭く光が走ったのにユーリは気付かない。

「……答えてもいいんですか?」

「は!?」
「本当に、その問いに答えてもいいんですか?」

質問してたのは、当然その答えが聞きたいからに決まっている。
決まっているのに、本能が「応」の返事が出すのを止めているのはなぜだろう。
ユーリは必死に回転しない自分の頭を働かせ、どちらでもない無難な答えを用意してみせた。

「そんなの、言わなくてもわかってるよ!
アレだろ、保護者として、大きくなったなあ、成長したなあっていう感慨からつい!ってことだろ!?」

半ば悲鳴のように答えるユーリに、保護者であるはずの彼は、とてもユーリを庇護する者とは思えない微笑みを唇に浮かべた。

「そうですね、確かにそれもある。
ここまで大きく育ってくれたことを、俺は俺のためにあなたに感謝しています。
だが、それだけでは正解じゃない。」

何かを言おうとしているのか、ユーリが口をパクパクしているのに口元だけで優しく微笑みながら、彼はまたユーリに質問を返す。



「.……恋愛感情ですと言ったら?」



「冗談だろ」、と言おうと無理やり引きつった笑顔を作りながら覗きこんだ目の前の彼の視線があまりにも熱くて、あの日以来、再び近づいてきた唇に、ユーリは何も出来なかった。









2012.10.22up
[お題配布サイト]確かにだった様
主従関係で強気な従5題 より

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