背中から回る太い腕の中、息を詰めて覗えば規則的な呼吸が聞こえる。

空を見上げると生い茂った木々の隙間から白い月がぼんやりと輝き、まるで心にヴェールをかぶせた偽りの自分たちのように見えた。

春先の冷えた空気が体温を下げ、先ほどまでの互いの荒々しい呼吸も夜の静寂に包まれ嘘のような気がしてくる。

だけど……

不自然な体勢で顔だけ後ろを向けると、視界に入るのは鮮やかなオレンジ色の髪と真っ青な海を思わせる瞳。

ウェーブのかかった少し痛んだそれは、先ほどまで何度も身体の上を滑っては汗と快感を撒き散らして行き、その碧い瞳に捕らえられると深い海の底まで引きずり込まれるような戦慄をこの身体にもたらせた。そして自分も今までにないほど声をあげてそれを受け入れた。

何もかも、全て忘れさせてほしかったから

だけど……

喜びに撃ち震える身体とは別に、耳に聴こえる自分の名を呼ぶ声や、目に映る愛しい薄茶色の瞳や髪とは全く違うものを感じることで、そんなことは永遠に無理だと悟る。

 

剣ダコのあるごつごつした指が、優しく頬を撫でた。

密着した暖かな肌からはトクトクと心音が聞こえる。

 

生きていてくれれば、それでよかった。

生きてさえいればまた元通りの日常が始まると思っていた。

その瞳に自分を映し、「陛下」と甘い声で呼んでくれると信じていた。

だけど……

ただ何もかも、全て忘れさせてほしかった

こんなにもあんたに捕らわれている自分を

こんなにも心乱れる自分を

 

「坊ちゃん……」

閉じた両の瞳から流れるものを太い指が拭ってゆく。

「今度会ったときはオレがひっぱたいてやります。そうすりゃあいつも目が覚めますよ」

「………」

「…大丈夫です」

「……」

武骨な指はいいようもなく優しくて、胸が痛い。

「大丈夫ですよ。大丈夫だから…」

まるで小さな子どもに言い聞かせるように、腕の中の自分に何度も何度も囁きかける。

この腕に抱かれて、何もかも全て忘れられたならと思う。

けれども欲しているのはこの手ではなく…

 

 

何もかも、全て忘れさせてほしかったのに…

得たものはただ、切ないほどの痛みと空虚

 






20063.31up






初ヨザユです…この人を好きになればいいのに、と思うけど心はそっちへ向かえない。




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